このサイトについて
このサイトは家の愛犬、庭の花、EMCの概略、経験した心筋梗塞、趣味のアマチュア無線、 捨てられない物と
関連リンクの紹介とJA1FCC無線日記それに哀犬日記です。特に心筋梗塞については退院後の薬、体重、コレステロールの変化も
書きました。皆様の健康管理の参考になればと思います。
木更津については下に書きました。興味を持っていただければ 幸いです。JA1FCC無線日記は1日1局を目標に日々の交信等を 書いています。哀犬日記は散歩の時に遇った犬や撮った写真を載せています。無線日記と哀犬日記は毎日更新しています。
木更津について
木更津という名の由来は、その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が木更津へ船で渡るとき海が荒れ、お后の弟橘媛
(おとたちばなひめ)が海へ身を投げ、海神の怒りを沈めたそうです。無事に着いた日本武尊は海を眺めて、お后を想い、
ながくこの地を去らなかったことから、
「君不去/きみさらづ」となり、それが木更津となったそうです。流れついたお后の衣が吾妻神社に祀られていると伝えられています。
また、関東一の大神輿で知られる八剱八幡神社には日本武尊も祀られています。
江戸時代には江戸への海上交通の港町・色町として栄えました。木更津甚句(はぁー木更津 照るとも お江戸(現在は東京)は曇れ・・・)
は江戸と木更津を行き来する船の船頭の舟唄が基だそうです。また、歌舞伎の与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)の
お富・与三郎の話ができました。「えーおかみさんへ・えーごしんぞさんへ、
いやさお富 久しぶりだなあー・ しがねー恋いの情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から・・・・死んだと思ったお富さん
生きていたとはお釈迦様でも気がつくめえ」 の台詞や春日八郎の歌「お富さん」でご存知とおもいます。与三郎やこうもり安のお墓もあります。
木更津駅西口を出てロータリー左側にある木更津市観光協会には「木更津観光ガイドマップ」や「エンジョイマップ木更津」があります。また
「木更津甚句や
お富さんの入ったCD」も販売しています。また木更津駅西口を出て右側の交番には「木更津うまいもんマップ」があり市民が推薦した
おいしい飲食店が載っています。そのマップの題字は木更津出身の中尾彬氏筆のものです。
私が幼稚園の頃は、戦争の跡があり、空き地の
あちこちに鉄の塊がありました。木更津の航空隊は米軍の補給基地でした。大きな平らな船に飛行機などを載せ運んでいるのを
よく見ました。航空隊の近くのくずやに放出された真空管を買いに行ったこともありました。また、のりの養殖が盛んで、小学校の頃の冬はのり
を干している壁にそって学校へ行きました。
その頃はまだ色町も残っており、芸者の置屋もいくつもあったと聞いています。今は、木更津市観光協会が木更津芸者体験プランを用意して、
気軽に楽しめるようになっています。
木更津で忘れていけないのは富士山が見えることです。小学校で歌った木更津の市民歌(みよ 日にはゆる 富士の峰・・)、木更津二中行進曲
(若草もゆる 高辺台 集える我等 七百余 遠く 富士の影を 望みつつ・・・)、木更津高校校歌(遠く 富岳を 西にして
東京湾を まの当たり・・・・)と富士山が出てきます。冬はきれいに見えます。日本武尊も富士山をみて、お后をしのんだと思います。
現在の木更津上空は羽田空港へ着陸する飛行機の空路で、ラッシュ時には次から次に上空を飛んでゆきます。滑走路が二つになったので
飛行機が並行になって飛んでゆきます。また、木更津の航空隊のヘリコプターも毎日のようにバタバタ飛んでいます。
ドイツからきた人が「ずいぶん飛行機が通るね」とびっくりしていました。彼は木更津のお寿司が大好きです。
それに、木更津へはアクアラインの低料金化で潮干狩り、つり、すだて等の遊びや、狸ばやしのしょうじょう寺などにも来やすくなっています。
また、木更津へ家を建て、川崎・横浜・品川・東京へアクアラインバスで通勤している方も増えてきています。品川へは1時間、
他は1時間半かからずに行けます。今年2012年には木更津に三井のアウトレットモールができました。アクアラインの金田出口から
5分くらいのところにあります。駐車場も広いです。近くにベイシアも開店しました。うわさではまだ何かできるようです。
私が作っています
- 名前
- わたなべ かずお e-mail: ja1fccアットマークjarl.com
- 関連資格
- iNARTE EMC Engineer、 第1級アマチュア無線技師、第二種電気工事士、ITパスポート、三級建築大工技能士
- 趣味
- アマチュア無線(JA1FCC局長)、カメラ、オーディオ、工作
- 好きな言葉
- 好奇心・今が幸せ
- 生まれと居所
- 千葉県木更津市生まれ、木更津育ち、木更津市在住
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